私は憂国と聞きますと国家主義を連想します。つまり、国家主義とは個人を犠牲にして
も国家を至上とする主義で、戦前の軍国主義者がこの思想を国民に押しつけて悲惨な
戦争を始めました。現在においても、軍国主義者の一部は、あの「崇高な戦争」は「個を
超えた公のために」生きることで可能だったと言います。
そして、この「公」が、「国家」にほかならないことを語っています。しかしそれは、国民を
支配し押しつぶす「国家」であり、国益のために隣国に強制的に自分達の言うことをき
かそうとする「国家」です。日本の侵略戦争と沖縄の地上戦の実態は、まさに「国家」は
決して国民を守らないことを証明したのです。

公とは、個人がそれぞれの基本的人権を認め合い、お互いにつくりあげていくものでな
ければなりません。過去の歴史をしっかり認識し、自分たちの未来は自分たちで切り開
くという立場が大切なのです。
「個」を押しつぶす「公」と命がけで戦い、日本とアジアの平和、目に見えない他者のた
めに戦った人達こそ、公と個とのあるべき関係を体現した人々だと思います。かつての
侵略戦争に対するしっかりとした認識こそ、全人類の明日のために不可欠な条件であ
ると思います。
「公=国家」よりも「個=国民」の、一人一人を大切にしてこそ、輝かしい未来が切り開
かれるものと確信しております。
おわり
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